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第62回聖泉大学公開講座「よみがえる肥田の歴史」を開催しました

2013年度
<イベント>

12月14日(土)、彦根城世界遺産登録推進室専門員の谷口徹先生と肥田城主菩堤寺臨済州崇徳寺住職の高瀬俊英先生の両名による公開講座が本学4階455教室で開催されました。 今回は、本学敷地から出土した弥生式土器(壺と水差し)や古銭(唐銭と宋銭)を展示しての講義でした。
まず、初めは谷口徹先生による『「肥田」の歴史』についてのお話でした。
谷口先生は、聖泉大学敷地から出土された弥生式土器の説明から、縄文時代から江戸時代に至る肥田の歴史を分かりやすく紹介しました。肥田の歴史は彦根よりもかなり古く、肥田城も彦根城より大分前に作られました。肥田城主だった高野瀬秀隆の代には浅井長政と通じるようになり、怒った六角承禎(義賢)により、永禄2年に城の周囲58町におよぶ堤を築き、宇曽川と愛知川の水を入れた、いわゆる「肥田城の水攻め」を行ったことなどのお話をされました。
次に、高瀬住職による『「肥田」出土の埋蔵金』についてのお話でした。
高瀬住職のお話によると、肥田では江戸時代から明治にかけて4回も埋蔵金(中国唐代から宋代の古銭)が出土されており、その一部は崇徳寺で保管されています。なお、古銭の入っている壺は東京国立博物館に保管されています。古銭等の埋蔵年は、応安4年であり、中には現物がほとんど残されていないといわれている南宋の孝宗代の「乾道元宝」も10個ほど入っています。
約80名の参加者は谷口先生・高瀬住職、両先生のお話に熱心に耳を傾けていました。

本学敷地から出土した弥生式土器

本学敷地から出土した弥生式土器

谷口徹先生による『「肥田」の歴史』

谷口徹先生による『「肥田」の歴史』

高瀬住職による『「肥田」出土の埋蔵金』

高瀬住職による『「肥田」出土の埋蔵金』